岸和田市市制施行100周年記念誌
岸和田のいまむかし18-19ページ
都市整備によるまちづくり
鉄道& 道路、区画整理で発展
交通インフラの整備や、土地利用の増進、それらを繰り返し、岸和田市は発展してきました。今のまちの形となった歴史やきっかけを振り返ってみましょう。
賑わいの拠点 鉄道と駅の歴史
このまちに初めて鉄道の駅が誕生したのは、明治30年(1897)10月のこと。日本最古の私鉄・南海電鉄の本線上に岸和田駅が設置されました。明治27年(1894)の岸和田紡績(⬇P28)の設立以降、近代産業の工場や工員寮が立ち並び、まちは駅が整備されるほど大きくなっていました。貨物運搬も鉄道輸送へと切り替わっていきます。昭和に入ると商店が〝商店街〞の形を構成するようになり、岸和田駅前通商店街をはじめとするアーケードが賑わいの中心に。
浜手の南海岸和田駅に対し、山手のJR東岸和田駅は、昭和5年(1930)に 阪和電気鉄道の「土生郷駅」として設置。都市基盤が整備されていなかった山手におい
て、大阪・和歌山間を結ぶ交通機関の誕生は、まちの発展に繋がりました。現在では駅直結の商業施設、駅前複合施設が充実し、岸和田市の東の玄関口として賑わいを創出しています。
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約50年前の大北町周辺
のちの府道39号岸和田港塔原線となる道路が港から山へと延びる
写真提供:岸和田市立春木小学校 -
令和2年(2020)の土生町周辺
鉄道、駅の高架化で、道路渋滞を軽減

SINCE1897
南海岸和田駅
現在の駅舎は3代目。駅の上に駐車場を設ける、全国初の「駅部一体整備型連続立体交差事業」として進められ、平成4年(1992)に上り線、2年後に下り線が完成しました。出入口の上の窓は半円形ステンドグラスをモチーフとし、2代目駅舎の特徴も取り入れられています。

SINCE1930
JR東岸和田駅
平成29年 (2017)10月に上下線ともに高架化され現在の姿に。駅前再開発「防災街区整備事業」も実施され、駅周辺には防災公園、不燃化建築の公共施設、マンションなどが建設されました。
時勢に順応し整備されてきた道路
岸和田エリアの交通インフラ整備は、城下町があった浜手の地域を起点に放射状に行われていきました。江戸時代に整備された大阪と和歌山を繋ぐ主要な幹線道路・紀州街道から各所へ道が延び、まちが形成され、現在の旧市街の骨格となっていきます。
自動車の時代になってからは、南北移動のメインロードは府道30号、府道204号(旧国道26号)へと移り変わり、東西においては府道39号と府道40号が整備れ、市内の交通ネットワークも強化されていきました。
時代が進むにつれ、増加する交通量に対応するため第二阪和国道が開通。さらに、関西国際空港開業に向けての都市計画道路の建設ラッシュとなり、府道29号や阪神高速4 号湾岸線が整備されました。
こんな整備・取組みも
「鉄道高架化で都市交通問題を解消」
道路の整備だけでなく、鉄道高架化による道路の利便性、快適性のアップも図られてきました。南海岸和田駅、JR東岸和田駅周辺では鉄道高架化により、踏 切渋滞の緩和、踏切事故の解消を実現しています。南海本線、JR阪和線とともに地域の理解と協力を得ながら長期にわたって進められた一大プロジェクトでした。