岸和田市市制施行100周年記念誌
岸和田のいまむかし22-23ページ
農業王国
府内トップの産出額
豊かな自然に恵まれる岸和田市は、古くから農業が盛ん。
現在では、農業産出額や耕地面積が大阪府内でトップレベルです。
農業王国・岸和田の過去から未来への変遷を追います。
久米田池が基盤となった岸和田の農業
岸和田市域では、紀元前2世紀頃から低湿地を中心に稲作が行われていました。やがて、周辺エリアにも稲作が広まりますが、八木郷には大きな川がなく、干ばつや水不足が課題に。それを解決したのが、ため池・久米田池で、完成以降一帯の田畑を潤し、農業の支えとなりました。その後、津田川・牛滝川・春木川に堰が作られ、水路やため池が整備されていきました。
江戸時代、米は大半を年貢として納めなければならず、糸や布にして売るための綿や、砂糖の原料となる甘蔗(サトウキビ)も盛んに栽培されました。また、藩主が栽培を奨励したミカンは、明治以降品種改良が進み、収穫量が増加。さらに、タマネギをはじめ、桃や花卉、チーゼルなどの栽培も定着しました。
昭和に入ると特産のミカンとタマネギはさらに生産量がアップ。 さらに、トマトやダイコン、サトイモ、ショウガ、イチゴなど、生産される農作物の種類は多様になりました。
大阪府内最大の農業用ため池・久米田池
満水面積は府内第1位の45.6ヘクタール、貯水量157万t、周囲延長2650mもの農業用ため池。約1300年近く前に築かれて以来、改修・整備を繰り返し、現在も農業用水として田畑を潤しています。平成27年(2015)に は、世界かんがい施設遺産に。
泉州たまねぎの祖・坂口平三郎ヒストリー
平三郎は文久元年(1861)、土生新田(現 土生町)の農家に生まれます。明治12年(1879)、神戸の西洋料理店でタマネギを食べたことをきっかけに、アメリカ人から分けてもらったタマネギ3個で栽培実験を開始。苦心の末にタマネギの採種・栽培に成功します。種子を無料で配布するなど、平三郎が栽培を奨励したことで、タマネギは泉州の特産品として定着したのです。
大阪府屈指の農業王国は丘陵地区を中心に発展中
現在は、都市近郊農業によって府内きっての農業王国となった岸和田市。大阪市に近い立地と、発達した交通網を生かし、鮮度の高いまま大消費地に農作物を届けられるのが強みです。
そして、今後の農業基盤強化のため整備を進めているのが、丘陵地区・ゆめみヶ丘岸和田の農エリア。"都市・農・自然が融合したまち"をめざすゆめみヶ丘岸和田では、約36ヘクタールを農エリアとし、農地の整備・売却を進め、営農規模の拡大を図っています。近くにある「道の駅 愛彩ランド」の農産物直売所は、安全・安心な食材や加工品が並ぶ地産地消の拠点として、すでにおなじみ。愛彩ランド出荷協力会の岡本冠一会長によると、愛彩ランドでは少量でも販売ができるため、新規出荷者も増えたそう。農エリアでは、消費者と直結する愛彩ランドや、JA営農センターなどと連携しながら、新規就農者を増やす取組み、先端技術を用いた施設園芸の展開など、次の世代へ向け、地域農業のさらなる活性化をめざしています。

農家が育てた季節の農作物や加工食品、漁協から直送の魚介などがズラリと並ぶ直売所のある道の駅。 レストランでは、とれたての食材を使った料理をバイキングで楽しめるランチが評判です。食と農に関する体験ができる体験交流館もあり、岸和田市内外の人々の交流拠点になっています。
地域と連携し、商品開発や販売実習、PR活動を展開する、産業高校の商品開発クラブ。2020~21年には、大阪府、カゴメ、ロート製薬と協力し、岸和田産春菊(きくな)を使った飲食店メニューの開発を行いました。開発したメニューは、グランフロント大阪内のレストランにて提供され、春菊(きくな)の認知度向上、消費拡大の機運を盛り上げました。
