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一休和尚と地獄大夫(ミニ岸和田再発見第1弾)

更新日:2015年8月4日掲載 印刷ページ表示

 一休和尚が堺高須の遊女地獄太夫を久米田寺に葬ったという話を聞いたことがある人もあると思います。これってホント?

 この話は、山東京伝(さんとうきょうでん。江戸時代後期の江戸戯作者)が文化6年(1809)に発表した読本『本朝酔菩堤全伝(ほんちょうすいぼだいぜんでん)』巻の五「地獄信解品第七」が元になっています。「ついに八木郷久米田寺の三昧にいたり、桶から屍を出し・・・」とあります。巻末には参考文献として「一休年譜」「泉州志」等47冊を挙げています。享保16年(1731)刊の『続一休咄』に出てくる巻4「一休和尚泉州高須の町遊行の事」等に題材を採っています。久米田寺に葬ったというのは、『泉州志』(元禄13年(1700)石橋直之著)にみえる久米田寺の「女郎ノ塚」に関連づけたに過ぎないと思われます。ということで、京伝の創作です。興味深い人物像なので、後年多くの作家が題材として一休や地獄太夫を採りあげていますので読んでみてください。一休像が一変する程面白いと思います。特に山田風太郎の『地獄太夫』は章の名称も「愛憎因果序品第一」「地獄解品第二」「髑髏恋華喩品第三」となっていて、京伝の作品が下敷きであることを窺わせます。図は「地獄信解品第七」の挿絵ですが、死期を悟った太夫が箏を弾いて皆に別れを告げる場面で、集まった人びとは嘆き悲しんでいます。太夫の下には一休らしい僧も描かれています。左上は久米田寺までの葬送の列で一休和尚が先導し、骸骨が棺を運んでいます。山田風太郎の作品では太夫は自害したことになっていて、その原因は・・・と二転三転する人間模様が見所です。