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報道発表 「第38回 濱田青陵賞受賞者の決定について」

更新日:2026年7月1日掲載 印刷ページ表示

概要

 5月29日、朝日新聞大阪本社で行われた濱田青陵賞運営協議会並びに選考委員会において、第38回濱田青陵賞の受賞者が京都大学人文科学研究所准教授 向井佑介氏に決定しました。
授賞式式典、記念シンポジウムは9月27日(日曜日)に開催予定です。
※各新聞社におかれましては、7月1日の朝刊からの取扱いとさせていただきます。

詳細

受賞者

受賞者氏名

向井佑介(むかい ゆうすけ)

年齢

1979年 兵庫県生まれ(現在46歳)​

現職

京都大学人文科学研究所 准教授、博士(京都大学 文学)

授賞理由

中国の仏教寺院・都城・陵墓とその東アジア的展開についての歴史考古学研究

主な論著

  •  「仏塔の中国的変容」『東方学報』88(京都大学人文科学研究所2013)
  • 『中国初期仏塔の研究』(臨川書店 2020)
  • 「仏塔と仏舎利の東伝」『アジア仏教美術論集 東アジア7』(中央公論美術出版 2023)
  • 「漢魏晋墓の神坐と墓主図像―墓のなかの〈見えるもの〉と〈見えないもの〉」『「見える」ものや「見えない」ものをあらわす―東アジアの思想・文物・藝術』(勉誠社 2024)
  • 『仏塔伝来 東アジアにひろがる古代寺院』歴史文化ライブラリー633(吉川弘文館 2026)​

主催

岸和田市・岸和田市教育委員会・朝日新聞社

​岸和田市文化賞 濱田青陵賞

 濱田青陵賞は、岸和田市にゆかりが深く、我が国考古学の先駆者として偉大な功績を残され、多くの後進を育成された濱田耕作(号:青陵)博士没後50年にあたる1988年に、「岸和田市文化賞条例」に基づき、岸和田市と朝日新聞社とが創設しました。
 博士の業績を称えるとともに、我が国考古学の振興に寄与する目的で、業績のあった新進の研究者や団体を広く選考し表彰するもので、今回で38回目をむかえました。

授賞理由

向井さんが話している様子

受賞理由業績

「中国の仏教寺院・都城・陵墓とその東アジア的展開についての歴史考古学研究」

 第38回濱田青陵賞選考委員会は、令和8年(2026年)5月29日に開催され、厳正な審査の結果、京都大学人文科学研究所 准教授の向井佑介氏に決定しました。

 向井佑介さんは、大阪大学文学部で考古学を学び、京都大学大学院に進学して中国考古学の研究に着手し、在学中には北京大学へ留学しました。京都大学人文科学研究所助手に採用された後、京都府立大学文学部講師・准教授をへて京都大学人文科学研究所准教授となり、現在に至っています。
 向井さんの主な研究対象は、唐代以前の中国を中心とした東アジアの仏教寺院・都城・陵墓です。外国の考古学研究は、実物に接する機会が少なく、二次資料に頼らざるをえないことが多いのですが、さいわい京都大学には中国やガンダーラの仏教寺院に関する一次資料が収蔵されており、向井さんはそれらを丹念に「掘り起こし」て精査するとともに、たびたび現地に赴いて自分の目で新資料を確かめることに努めてきました。また、職場では文献学の研究者を中心とする共同研究に参加し、漢文を読みこなす素養を身につけてきました。石刻などの同時代史料に加え、扱いのむずかしい儒教経典や漢訳仏典なども積極的に用いることで、考古資料の背後にひそむ思想とその歴史的意義を解き明かしてきました。
 学位論文となった『中国初期仏塔の研究』(臨川書店、2020年)では、インドに起源する覆鉢形のストゥーパが、中国在来の神仙思想と融合して楼閣式仏塔へと変容し、高層化していくプロセスを解明しました。北魏のみやこ平城の西に造営された雲岡石窟は、中国最初の巨石仏ですが、京都大学にはそこで発掘された瓦が多数収蔵されており、向井さんは日本考古学で培われた瓦の研究法を用いて整理し、精緻な編年を組み立てました。そのうえで近年の発掘成果と照らし合わせ、石窟の上方には高層木塔を中心とする僧院が配置され、北魏末期の『水経注』に描かれるような東西1kmに櫛比する堂塔伽藍に発展したプロセスを明らかにしました。これは石窟寺院のイメージを塗り替える画期的な研究成果です。また、平城の北の方山には孝文帝と文明太后の陵墓や思遠仏寺などが造営されますが、向井さんは新旧の出土品を整理し、仏塔内には塑像が安置されたこと、それはインドにはじまり中国をへて法隆寺の塔本塑像などに受け継がれたことを論証しました。このような成果を一般向けに著したのが近刊の『仏塔伝来―東アジアにひろがる古代寺院』(吉川弘文館、2026年)です。古代の仏教寺院では単塔がふつうですが、奈良の薬師寺では双塔をもつ伽藍配置になっています。それについて向井さんは、国家仏教を進める北魏において孝文帝・文明太后の「二聖」をシンボルとする双塔が出現し、隋・初唐には皇帝・皇后という「二聖」の双塔伽藍に継承されたことをふまえ、天武・持統朝における薬師寺の建立と鎮護国家との関連を推測しています。ひろく東アジアを俯瞰しつつ、伽藍配置という「形」に秘められた国家イデオロギーをあぶりだす、向井さんの面目躍如たる成果といえるでしょう。
 漢魏洛陽城についても、向井さんは出土瓦の精緻な編年を組み立て、宮殿に関する文献史料と照合することにより、曹魏の明帝によって創建された太極殿の位置を確定させています。天空を表象する太極殿は、西晋をへて北魏の孝文帝に継承され、日本の飛鳥・藤原宮に大きな影響を及ぼしており、その成果は宮都の東アジア的展開を考えるうえで画期的な意義があります。向井さんはまた、大部の楊鴻勲著『唐長安 大明宮』(ゆまに書房、2021年)や王其鈞著『中国庭園図解辞典』(ゆまに書房、2024年)を若手研究者の指導を兼ねて翻訳出版し、日本の宮都や庭園の源流に関わる研究に大きな便宜を与えています。
 墓と霊魂のまつりについては、儒教経典の礼書とその注釈に多くの情報があり、これまで文献学から研究されてきましたが、向井さんは宗廟と陵墓の発掘資料をもとに、先秦時代には都城内の宗廟で霊魂が祭られていたのに対して、秦漢時代には墓に死者の霊魂がとどまるという観念が生まれ、陵園の内外に「寝」や「廟」、墓室内には「神坐」という儀礼空間が設けられることを明らかにしました。また、曹操高陵や明帝のむすめ曹淑の西朱村大墓から出土した石牌(副葬品の付札)の銘文について詳細な注釈を加え、曹操とその一族墓の変遷をもとに厚葬から薄葬への展開を多角的に論証したことも特筆されます。
 以上の理由から向井佑介さんを第38回濱田青陵賞の受賞者に選考しました。

第38回濱田青陵賞選考委員長 岡村秀典

​問合せ先

郷土文化課 電話:072-423-9688