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岸和田市冠基金

更新日:2026年7月2日掲載 印刷ページ表示

冠基金とは

 岸和田市は、だんじり祭をはじめとする豊かな歴史・伝統文化、漁業、ものづくりを支える中小企業群および地域コミュニティの結束を基盤として、市民とともにまちの発展を築いてきました。本基金は、市に対する寄附者からの想いを積極的に反映し、より良いまちづくりに寄与することを目的に設置します。

・希望する名称を付けることができます。

・個人から寄附を申し込むことができます。

新たに冠基金を設置したい方:【様式第1号】寄附申込書 [Wordファイル/11KB]

既存の基金に寄附をしたい方:【様式第2号】寄附申込書 [Wordファイル/10KB]
・1つの冠基金について、寄附額1000万円以上が対象となります。
岸和田市冠基金運用要綱 [PDFファイル/70KB]をご確認ください。

冠基金の紹介

原甚之丞基金

 戦前の日本の主力輸出産業であった紡績は、全盛期になり、綿布輸出でイギリスを抜き世界第1位、さらに、生糸を抜いて日本輸出第1位になりました。そのような時代、岸和田の地場産業の綿工業も、大いに栄え、 大阪・日本の産業力を世界トップレベルにまで引き上げるのに貢献しました。

 その中で、第7代原甚之丞(はらじんのじょう)は、岸和田の地に本社を置く和泉織物株式会社を創業し、初代・取締役社長として、地域の経済基盤を築きました。そして、長男の第8代原甚之丞が引継ぎました。

 また、第7代原甚之丞と正木美術館創設家との婚姻関係もあり、第7代・第8代ともに、芸術・茶道に深い理解をもった人物です。岸和田市の紡績業に大きな功績を残しています。

原

(写真は、第8代目原甚之丞 寄附者提供)

和泉織物株式会社と日本の紡績業について

 和泉織物株式会社は、1912年、第7代原甚之丞らを中心に、岸和田の地において、創業された。寺田銀行・寺田紡績工廠を経営し近代和風建築の岸和田市指定有形文化財・五風荘を建設し別邸とした元岸和田市長・寺田利吉らも資本参加した。同社は、1925年に初代社長・第7代原甚之丞が逝去した後に、社長不在の時期を経て、第8代原甚之丞が引継いだ。

 しかし、1937年、日中戦争に突入してからは、戦局の悪化とともに、紡績業は、生産制限、軍需工場への転用、紡績機械の鉄屑化など、厳しく統制された。和泉織物株式会社も、この統制を受け、商工省(現経済産業省)が策定したブロック政策により、インド経由のイギリス綿製品に日本の紡績が圧迫される(綿作地域が多かった泉州も、大変苦しんだ)のを憂え、1914年に生まれた大阪紡績会社の後身・東洋紡績株式会社(現東洋紡株式会社)と、1941年に、合併することとなった。


(参照資料)
・公益社団法人國民會館「繊維の街、大阪」
・東洋紡績(株)『東洋紡績七十年史』
・渡辺純子「戦時期日本の産業統制の特質:繊維産業における企業整備と「10大紡」体制の成立」土地制度史学38巻2号
など

使途

 岸和田市の教育振興、子育て支援及び環境改善

寄附の状況

 
寄附日 寄附額 寄附者 累計額

令和8年7月1日

10,000,000円 原 秀六 様 10,000,000円
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